境界に立つ人


大竹野正典劇集成Iが完成。
2009年7月19日、海水浴中の事故でこの世を去った大竹野正典氏が遺した上演台本を、刊行委員のもとで整理精査をし戯曲として出版する三巻本の第一巻となる。最後の活動母体である「くじら企画」期に書かれたものから8本を収録。
それとともに作品解説・全公演の記録・氏の年譜を加え、さらに事故の日の前後を、側にいた家族や友人それぞれの視点から綴った文章を纏めた別冊「あの日のできごと」を附した。



400ページの本文最後には妻である後藤小寿枝氏が押す検印と手書きのシリアルナンバーが入っている。
本文組は大量の文字・台詞を二段組みで、しかも氏特有の「——」(二角ダッシュ)の多用と句読点の排除という難しい文章表現の中で、いかに可読性を保つかに苦慮した。また造本設計については台本として利用しやすいようにとの要望を叶えつつ、作品が持つ力強さと剥き出し感、そして氏の作品群の重要なモチーフになっている、ついに整うことのできない人間の真性、完全には捕捉しえない人間の感情と行動を表現するためコデックス装・天アンカット・背丁入りとし、安定感がありつつも野性的な佇まいのある本とした。
表紙やスリーブ帯、扉などのデザイン・装画は氏と高校時代からの友人である高岡孝充氏が担当した。



命日にあたる7月19日の刊行日に先立って出版記念公演が行われるウイングフィールドにて出版記念パーティーを催した。
氏と親交の深かった演劇人たち、氏がお世話になった業界関係者、また親友・朋友・悪友・蛮友たちがぞくぞくと集まり、皆が出版を喜び、大いに飲んで大いに食べた。



その記念公演『夜が摑む』を今日、楽日に観劇する。実は大竹野作品の芝居を観るのはこれが初めてである。氏が直接演出している訳ではむろんないが再々演ということで(初演1988年、再演1992年)オリジナル演出の魅力を充分に保ったすばらしい芝居となっていた。発話されてより一層わかる氏の書く言葉の強度に改めて感服した。

見終わって氏について思ったことは次のようなことだ。

この人は境界に立つ人なんだと、境界線上にあるものを捉えたい人なんだと。
あるいは分水嶺・分岐点を見つめたいと考えているのではないか、汽水域に潜む、汀(みぎわ)に現れる無限の謎に取り憑かれていたのではないかと。
何と何の境界なのか分かれ目なのか、何と何との汽水域なのか汀なのか。
それは、狂気と正気、異形と通常、現実と妄念、愛と憎しみ、日常と非日常、闇と光、過去と未来あるいは一瞬と永遠。
生と死、家族と孤独、殺された者と殺した者、死んでる者と死んでいない者、そして彼岸と此岸。
それら異なった、多くは反対のものとされることが接地する接続する接触する、または溶融しつつ分離し、混交しつつ乖離する境界を追い続けていたのではないか。
そこには何か未規程のものがある、不可知のものがある、名づけようのないしかし重大な事柄が潜んでいる、それを、取り出しつかみ凝視したいと思っているのではないかと。

考えがイメージに変わる。
大竹野氏がいる。立っている。
立ったまま片手に何かを持ってそれを見つめている。
それは自分の心臓だ。
自分の心臓を取り出して手に持ち、鼓動を打つ様をじっと見つめている姿だ。
その顔は硬い、厳しいと言ってもよい。
しかし声を掛けると照れくさそうに笑い、そっと心臓を元の場所に戻す。

本人を知る人間からしたらふざけるなと言われるかもしれないが、そのイメージは魅力的であり蠱惑的ですらある。
そしてそのイメージの中の大竹野氏に問いかけずにはいられなくなる。
最期の瞬間、境界との接続、夜があなたを摑む永遠の一瞬に、何を見ましたかと。

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本は先行して劇団で販売されている。
7月19日以降書店での注文も可能となり、ネット書店での購入も順次可能となる。
また弊社へ直接連絡してもらってもいい。
現在オンラインで本を購入できるように準備を進めているので、うまくいけば19日までに開設できるかもしれない。

多くの人に読んで貰いたい、台本として使って貰いたい。
そして作品に脈打つ氏の優しさと厳しさを味わって貰いたいと、強く思う。

境界に屹立するこれらの作品は皆、哀しく美しい文学である。
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